俳句の部屋(シリーズ2)

〇俳句は-粋を競う-言葉遊び 
  学問的な正確性には欠けますが、もともとが「言葉遊び」から生まれたことを簡単に振り返りましょう。室町時代連歌という言葉遊びが、知的階級の人々の間で流行りました。しりとりとは違います が、音ではなく、韻や意味を繋いで人の歌のあとを他の人が受け継ぐのが連歌でした。この連歌の一部分「俳諧」が独立して、他人とは関係なく自分だけで詠む形に変化した言葉遊びが俳句なのです。結局のところは娯楽が少なかった時代の遊び又はしゃれというのが本質なのです。そのしゃれの感覚は俳句とは兄弟分の川柳にむしろ血濃く受け継がれていると言ってよいでしょう。現代では、俳句より「サラセン」(サラリーマン川柳)として流行っているのはご承知の通りです。「眠れない羊の横に豚がいる」とか「連れ込む名な女は急に泊れない」とか、「うまい!」「座布団3枚!」の世界です。同様に俳句も「季節をうまく表現するひらめきやセンスを仲間で競い合う品の良いお遊び」なのです。それも、紙と鉛筆さえあれば出来るお手軽なお遊びなのです。次に、少し聞きなれない言葉が並びますが、句会、吟行、兼題などについてご紹介しながら、「俳句はお遊び」だということを確かめて行きたいと思います。
〇句会を楽しむ
  定期的に好きなもの同士が集まり、気に入った句を選び合い、最後に宗匠が添削や評価などを行う流れの句会は江戸時代に始まりました。句会では1人5句程度を出句、すなわち、短冊に書き、誰の句かわからないよう箱などに入れます。句に詠む季語(お題)が予め指定(兼題)されることもあります。集まった短冊を作者がわからないように、ばらばらにして、全員が回し読みする用紙に写し直します(清記)。回って来た清記用紙に書かれた句から規定の数まで選びます(選句)。特に良いと思った句は特選と区別し、天地人とか選んだ句の優劣に差をつけることもあります。もちろん、自分の句は選びません。そして、決められた人が選句した人とその選句を順番に披露して行きます(被講)。自分の句が読み上げられたら、俳号(俳句用の名前)名乗の名乗りを上げます。
  最終的には、多くの人から選ばれた句が優秀句となります。指導者の選には重きを置くこともあります。こうして、優秀句に選ばれた人はやったと思い、そうでなかった人は次回頑張ろうと思います。そのあと、軽い食事をしたり、お茶やお酒を飲んだりしながら、公式の場では言えなかった選句に対するお互いの評論をし合い、褒め合い、会は延々と続くこともあります。中々面白いでしょう。時には、季節を訪ねて旅行等に出かけて句会のようなことをも催す(吟行)こともあります。
  特に、気の合った同士で楽しく句会をすると、句はお遊びの気分が味わえると思います。対して、公式の場だけの句会は理論的、文学的な固い評論ばかりで、そのあとのフリーな議論がないような会は高い域に達した人以外は楽しくないというか、本気ばかりで遊びがないという窮屈さを感じたりします。
〇俳句の発表の機会 ― 同人誌等への投句
  句会への当句以外に作った俳句を発表・披露する機会がいくつかあります。①同じような俳句観を持った人達がその師匠の下に集まる俳句結社とか同人と呼ばれる会の同人誌への投稿新聞・雑誌等への投稿雑誌社・新聞社等が主催する俳句賞(角川俳句賞など)への応募句集の出版などです。これらの雑誌や新聞に選ばれ掲載される、すなわち、他の人に認められると嬉しく満足感を感じます。自分が俳句や短歌を作るようになったのは、高校生の時に旺文社の「高〇時代」という雑誌の文芸欄で「ストーブの残り火消えどベトナムの議論は尽きずなお語り合う」という短歌が第1席で掲載され、賞品に万年筆を戴いたことがきっかけでした。俳句では、新入社員で無理矢理入部させられた俳句部の師匠が4Sと謳われた秋桜子、青邨らのひとり阿波野青畝が主宰する全国同人「かつらぎ」に「訪ね来し円空仏に菊の供花」という句が掲載されたことがきっかけになりました。