俳句の部屋(シリーズ4)

 

50代後半に、本社を退職し子会社の役員になりました。この時期も忙しかったのですが、本社ほどではなくなり、気持ちにもゆとりができ、週末には自宅から近くの森や手賀沼までウォーキングに出かけ、自然に接するうち、再び本格的に俳句を詠む生活が戻りました。この5年間ほどは、句帳に残すだけでしたが、150句ほど溜まったので、50句を自分で選んで、最高の俳句賞とされる「角川俳句賞」に応募しました。賞など取れる筈はありませんが、何かに纏めておこうと思ったからです。20代の句と比べて、何か変化したところがあるのか、自分でもわかりませんが、如何でしょうか。

  

 

人妻の視線の先の冬薔薇

 

秘密とは打ち明けるもの冬薔薇 

 

シクラメン自負も嫉妬も人の性

 

花恋し人なお恋し街の暮

        

夢なれば狂女を誘う花の下 

 

芍薬の未来を拓くように咲く

 

芍薬のみるみる解け行く夜かな

 

梢より今朝花辛夷生まれ出ず

 

雪やなぎ吹きこぼし行く辻の風

 

鈴蘭や清貧語る師の正座

 

吾亦紅風を巧みにあしらいぬ  

 

子等気付けその足元の冬菫

 

生き物

 

勢いのままに初蝶大河越ゆ

 

囀りや口説き上手なやつばかり

 

掘割を夏蝶の影横切りぬ

 

足止めぬ気配の主は青蜥蜴

 

蝉止んで表に客の気配あり 

     

激しさも切なさも欲し蝉時雨

    

かなかなの不意打ちに遭う午睡かな

 

鬼やんま一直線に引き返す

           

雨催い引きも切らずに帰燕行く

 

秋の蝶風に身任せざるを得ず

 

気候・陽気

 

淡雪は瞬きの間に消え行けり

 

円空仏祀り継ぐ村霞立つ

 

うららかや円空仏の細眼

 

迎賓の国旗はためき風光る

 

緑陰に水玉模様日零れる

 

木下闇行けど行けども闇を出ず 

 

ラフマニノフ聴いての帰り時雨けり

 

冬山の迫りし時化の日本海

 

部屋・街・生活

 

春燈やマティスの赤き部屋となる

 

憂鬱という字ゆううつ春愁

 

夏服の女銀座を闊歩せり 

 

颯爽と行く夏服の女達

 

酔っ払い秋刀魚の腸平らげり 

 

落葉踏む我が足音に振返る

 

                       (次回もお楽しみに!)

俳句の部屋(シリーズ3)

〇世界最短定型詩の快感

  五七五の17音が定型の世界で最も短い詩。遊びと言いながら、そう言われているのも確かです。ここで大事なことは「短いことがいいことだ」という特徴です。五七五の言葉のリズムと短い言い切りがおしゃれで、目にも耳にも心地良いのです。俳句を作り出した頃、句が一気に口から音として飛び出た瞬間、この快感を実感しました。
この快感は現代的で、かつ、日本人に限らず人々に共通なグローバルなものです。外国でも「世界で最も短い詩」に目覚め、英訳された日本の俳句に親しみ、英語で俳句を詠む人達が増えているそうです。
名句には耳に響く一字毎の音のリズムやハーモニーが心地良いものが多いのです。この心地良い俳句は口で詠んで音にしてみないと本当の良さがわかりません。ちょっと、音楽のようでもあります。
五七五の17音で、自分が感動した自然の営みを表現して見せ、他人に同様の感動をもたらし、時には、詠み人の心情の奥まで感じ取っていただける「表現のツール」であると言えましょう。

前置きが長くなってしまいました。何はともあれ、自らこれまでに作った俳句をご紹介しましょう。まずは、何の説明も加えず、俳句に触れていただきたいと思います。。

 

素晴らしき明日の予感春の星

春の夜の壁にモジリアニの女 

麦は芽にここら関東ローム層          

花石榴こぼれ昔の郭町          

実石榴の弾ぜて少年失恋す

日翳りて勿忘草の部屋となる       

郭公や森のホテルのカフェテラス       

囀りに手が届くほど森の宿  

桜桃はワイングラスに盛られけり  

夏蝶や黒部の谷を高渡る  

集落は同姓ばかり墓洗う    

新涼や桧の湯舟溢れけり  

秋風となる街角の靴磨   

過去未来繋ぐ一日や鰯雲 

淋しきは山頭火の句秋燈下 

新聞を手に取るにおい冬あたたか

おつかいの子の抱えたる葱一把 

着膨れて異邦人めく人の群れ

山塊が迫れる町の冬の暮 

ヒロインの顔の翳りやシクラメン 

階段に夜警の靴音冴え返る                   

猫と居てビバルディ聴く夜寒かな    

凍てる夜や貨車連結の音走る

   

以上の句は20代前半から後半にかけての5年間ほどの年代(1970年代中盤から1980年頃)に俳句結社「かつらぎ」の同人誌に投稿し、掲載された句に一部です。巧拙はともかく絵画的な句が多いように思います。カタカナが多用されていることにも気づかされます。どちらかと言えば、花や生き物等に焦点が当たった句は少なく、日常の生活の中で、見つけた季節の風景などのスナップ写真のような句が多かったように思います。何かを感じ、または共鳴していただけた句はありましたでしょうか。
実は、この時期以降、勤務していた商社での海外出張、駐在といった多忙な時期が続き、50代後半までは、作句はしても、同人活動や投稿をすることはありませんでした。むしろ、40代前半(1990年代)、ある生命保険会社が主催する「サラリーマン川柳」に応募し入選、それをきっかけにNHKおはよう日本から取材を受け、番組に出演したり、文芸春秋の特集で山藤正二さんが選ぶ「サラリーマン川柳傑作50選」に掲載されたりし、思い付きでパッと作れる川柳に足を踏み入れたりしました。この頃、俳句も川柳も、落語のように他人のある種の受けを狙う「言葉遊び」だということに気づいたのです。

 

地球よりまずは社員を大切に

会社から毎晩家に通ってる

ワープロもたたけぬ上司の誤字探し

七転び八起きの前に社が転び

会議室喫煙室兼仮眠室

寅さんがいなくて寂しいお正月

失楽園」見たのあなたもおまえこそ

減った分減らしておいたわあなたの分

 

(次回もお楽しみに!)

俳句の部屋(シリーズ2)

〇俳句は-粋を競う-言葉遊び 
  学問的な正確性には欠けますが、もともとが「言葉遊び」から生まれたことを簡単に振り返りましょう。室町時代連歌という言葉遊びが、知的階級の人々の間で流行りました。しりとりとは違います が、音ではなく、韻や意味を繋いで人の歌のあとを他の人が受け継ぐのが連歌でした。この連歌の一部分「俳諧」が独立して、他人とは関係なく自分だけで詠む形に変化した言葉遊びが俳句なのです。結局のところは娯楽が少なかった時代の遊び又はしゃれというのが本質なのです。そのしゃれの感覚は俳句とは兄弟分の川柳にむしろ血濃く受け継がれていると言ってよいでしょう。現代では、俳句より「サラセン」(サラリーマン川柳)として流行っているのはご承知の通りです。「眠れない羊の横に豚がいる」とか「連れ込む名な女は急に泊れない」とか、「うまい!」「座布団3枚!」の世界です。同様に俳句も「季節をうまく表現するひらめきやセンスを仲間で競い合う品の良いお遊び」なのです。それも、紙と鉛筆さえあれば出来るお手軽なお遊びなのです。次に、少し聞きなれない言葉が並びますが、句会、吟行、兼題などについてご紹介しながら、「俳句はお遊び」だということを確かめて行きたいと思います。
〇句会を楽しむ
  定期的に好きなもの同士が集まり、気に入った句を選び合い、最後に宗匠が添削や評価などを行う流れの句会は江戸時代に始まりました。句会では1人5句程度を出句、すなわち、短冊に書き、誰の句かわからないよう箱などに入れます。句に詠む季語(お題)が予め指定(兼題)されることもあります。集まった短冊を作者がわからないように、ばらばらにして、全員が回し読みする用紙に写し直します(清記)。回って来た清記用紙に書かれた句から規定の数まで選びます(選句)。特に良いと思った句は特選と区別し、天地人とか選んだ句の優劣に差をつけることもあります。もちろん、自分の句は選びません。そして、決められた人が選句した人とその選句を順番に披露して行きます(被講)。自分の句が読み上げられたら、俳号(俳句用の名前)名乗の名乗りを上げます。
  最終的には、多くの人から選ばれた句が優秀句となります。指導者の選には重きを置くこともあります。こうして、優秀句に選ばれた人はやったと思い、そうでなかった人は次回頑張ろうと思います。そのあと、軽い食事をしたり、お茶やお酒を飲んだりしながら、公式の場では言えなかった選句に対するお互いの評論をし合い、褒め合い、会は延々と続くこともあります。中々面白いでしょう。時には、季節を訪ねて旅行等に出かけて句会のようなことをも催す(吟行)こともあります。
  特に、気の合った同士で楽しく句会をすると、句はお遊びの気分が味わえると思います。対して、公式の場だけの句会は理論的、文学的な固い評論ばかりで、そのあとのフリーな議論がないような会は高い域に達した人以外は楽しくないというか、本気ばかりで遊びがないという窮屈さを感じたりします。
〇俳句の発表の機会 ― 同人誌等への投句
  句会への当句以外に作った俳句を発表・披露する機会がいくつかあります。①同じような俳句観を持った人達がその師匠の下に集まる俳句結社とか同人と呼ばれる会の同人誌への投稿新聞・雑誌等への投稿雑誌社・新聞社等が主催する俳句賞(角川俳句賞など)への応募句集の出版などです。これらの雑誌や新聞に選ばれ掲載される、すなわち、他の人に認められると嬉しく満足感を感じます。自分が俳句や短歌を作るようになったのは、高校生の時に旺文社の「高〇時代」という雑誌の文芸欄で「ストーブの残り火消えどベトナムの議論は尽きずなお語り合う」という短歌が第1席で掲載され、賞品に万年筆を戴いたことがきっかけでした。俳句では、新入社員で無理矢理入部させられた俳句部の師匠が4Sと謳われた秋桜子、青邨らのひとり阿波野青畝が主宰する全国同人「かつらぎ」に「訪ね来し円空仏に菊の供花」という句が掲載されたことがきっかけになりました。

俳句の部屋(シリーズ1)

① 俳句入門
  最近、TVのバラエティで、芸能人が俳句を作り、プロの先生が少し手直ししながら、順位を競ったりしています。従来の年寄達のそれとはちょっと違う、手軽な俳句ブームが来ているようです。
  ご承知の通り、教科書的には、俳句は5・7・5という17音の世界で最も短い詩で、冬なら雪というような季節を表す言葉を1つ入れ込むのがルールです。どなたもご存じの松尾芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」の句に代表されるのが俳句です。
しかし、1句ひねる(詠む)のを難しく考える必要はありません。ある商品が売れるようにコピーライターがキャッチコピーを作る感覚で、例えば、冬だ、寒そうと読み手が感じるような季節のワンシーンを表現すれば良いのです。その手法は、ある自然の草花にピントを合わせたワンショットを撮るような感覚でも良いし、自分の生活シーンに草花のショットを貼り付けるようなイメージでも良いのです。最終的には、人に「良い句だね」と褒めてもらえたら最高ですが、「なかなかいいな」と自己満足するのもまんざらではないのが俳句です。
  このシリーズでは、そんな俳句について、基本的なことをおさらいしながら、みなさんと一緒に、俳句の面白さを見つけて行きたいと思います。

〇簡単そうで難しい?
  5・7・5で季語を入れるだけと言いながら、花を見ても簡単にすらすらとは浮かばない。好きな俳句はと問われてもすらすらと出てこない。それは、俳句に親近感が持てていないことから、本当にこんなので他人にバカにされないかなということがあるからかも知れません。正岡子規が「俳句は写生」とか面倒くさい文芸論などを展開したり、俳人同士が門下によって、その是非を議論したりして、俳句を難しくしてしまったことで、一般の人達から敬遠されて来たような気がします。でも、そもそも、俳句って文学なのでしょうか?俳句から分かれた川柳は文学なのでしょうか?
〇難しそうで簡単!
  極論かも知れませんが、文学=高尚=難しい=極めるものではないという考え方に組みしたいと思っています。本来、しゃれ=軽薄=簡単=遊ぶものという方程式がむしろふさわしいのです。とにかく、実は、俳句が遊びやゲーム感覚で軽くて面白いモンと世に紹介されて来なかったことが、親近感を持たれない根本要因だったのではないでしょうか。ようやく面白いモンと紹介してくれたという点で素晴らしいのが、先述のTV番組ではないでしょうか。

 

ウォーキングで見つけた野の花

コロナ騒ぎで街には出ず、閉塞感にイライラしてしまうこの頃です。このイライラ感を和らげるのに、従来続けているウォーキングが効果を発揮しています。

柏に住んでいますが、10分程歩けば、森の中の散歩道があり、あまり人ともすれ違わずにウォーキングが楽しめるので、感染リスクも低いのではと思います。この辺りは、江戸時代には、徳川将軍家の馬の放牧場となっていた「小金牧」という広大な台地の北の端に当たる地域で、宅地開発が進んでいないところは、当時からの森や林の緑が比較的豊かです。谷あいには、泉が湧く場所も多く、柏市浄水場の地下水を汲み上げる井戸がいくつもあります。

春に森の中を散策していると、足元にいろんな野の花が咲いているのに気づき、その可憐な姿に心が和みます。特に今年は、コロナ騒ぎで落ち着かい気持ちが癒されます。森では、3月下旬から、山桜やこぶしの花などが一斉に咲きますが、これが散る頃、小さな菫の花が咲き始める群落があります。薄紫のつぼ菫が見事です。その中に、濃い紫や純白の菫が混じります。純白の菫が最も可憐で大好きです。その他にも名前もわからない黄色、ピンクなどの色をしたいろんな野の花を見つけることができます。また、羊歯類の芽吹き、木々の芽吹きも綺麗です。自然が創り出す幾何学模様の造形に感動さえ覚えます。

たらの芽、山椒といった山菜も採れます。今年も山椒の葉をたくさん摘んで来て、灰汁抜きをしたあと、お酒で茹で、これに白だしと醤油で味を付け、「木の芽炊き」を作りました。京都などでは、市販もされていますが、温かいご飯に乗せたり、おにぎりに入れたりして、春の息吹の香りを楽しみます。独特の香りが最高です。たらの芽は天ぷらが定番ですが、お味噌汁の具や胡麻あえにしても美味しいです。とても、素朴ですが、自分で摘んだものを自分でいただく贅沢が楽しめます。

1年中歩いていますが、3~4月のこの時期の森が最も美しく、毎日歩くのが楽しみです。みなさんも、それぞれの春を見つけて、心癒されながら散歩されては如何でしょうか。もちろん、コロナに感染しないように万全の対策を立て、人があまり密集しないルートを探して下さい。

フレンチ ティエリー・マルクス・サロン 2

丸い蓋をされた小さめの重箱がサーブされ、中には何種類ものかわいいデザートが並んでいる。いずれもパティシエの腕もかなりのレベルと思われる逸品。彩も味も粋だ。イランイランは香水の香りが素敵だ。初めていただくものだ。フィリピン産が大半で、タガログ語で、「花の中の花」、「最高に素敵な花」という意味。シャネル5番にも使われているらしい。友人ははっかくにも似た香りを感じたというが、いかにもオリエンタルで爽やかながら艶めかしい。

デザート お重
・デセール1 イランイラン、香水のように華やかな香り。身に纏いたい。アボカドピューレ。
・デセール2 プロヴァンスの名産を集める。アプリコット、ヌガー、塩レモンのコンフィ。ソルベ。ミルクチョコ。
・デセール3  帽子の下に、洋梨ババロア洋梨のソテー、コンポート。本山葵。ホワイトチョコ。

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ババオラム
サヴァラン生地にレーズンコンフィが入っています。ふわふわしたブリオッシュの下にはバニラのクリーム、上から大量のパッションフルーツ入りラム酒利かせたシロップソースがかかっている。ほんのり柑橘系オレンジの香りがして、甘さも適度で押さえめ。

ミニャルディーズ 『イランイランのマカロン
・ルビーチョコ、ココナッツ
・イランイランのマカロン
・ライチのゼリー
・シナモンとバニラのシュークリーム

【ドリンク】
「コーヒー」
「現代的な料理で、クラシックとイノベーションが共存しています。素材の味を尊重し、余計な手を加えないこと、

食感の工夫、食材の温度を大切にしています、」とはマルクス氏の言葉。店を出るときに、忙しい中を、「如何でしたか」と名刺を差出し、玄関まで見送ってくれたのは、マルクスシェフが絶大な信頼を寄せる女性エグゼクティブシェフの小泉さん。優しい女性らしい笑顔も印象的。その料理は、師のクラシカルなスタイルに、彼女の粋でクリスタルな感性がプラスされている印象を受けた。立地や空間、雰囲気、料理、サービスいずれも、期待して訪問して良かったという印象が残り、これまでのフレンチとは少し異なる新しい何かを感じさせてくれるレストランであった。

 
【ワインペアリング】
Ferrari Maximum Rose(トレンティーノ・アルト・アディジェ)
ピノ・ネロ、シャルドネのロゼ。
Pascal Doquet Champagne Grand Cru Coeur de Terroir Le Mesnil-sur-Oger 2005(シャンパーニュ
シャルドネシャンパーニュ
■Domaine Philippe Vandelle Chardonnay L'Etoile 2014(ジュラ/レトワール)
シャルドネの白。
■Albariño Do Ferreiro 2017(スペイン/ガリシア
アルバリーニョの白。
■Art Terra Curtimenta Casa Agricola Alexandre Relvas Lda. 2018(ポルトガル/アレンテジャーノ)
アンタンヴァス、アリント、ヴィオニエの白。